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size(表記):
size(実寸):
肩幅cm、身幅56cm、
着丈59cm、裄丈84cm、
(測り方による誤差あり)
brand:
date:1950年代~
状態:
スレ。
ヤケ。
複数キズ。
小穴。
ステッチ抜け。
シミヨゴレ。
着用感。
詳細・説明:
太平洋戦争に敗北した1940年代後半頃に「スーベニアジャケット」は誕生した。
終戦直後、貧困状態にあった日本でお金をたくさん使う者は、
進駐軍としてやって来たアメリカ兵であった。
当時アメリカにはない物珍しさから特に雛人形や着物の人気が高かった。
そこに目を付けた日本人がお土産として「売れるものが無いか?」と考え、
雛人形や着物から着想を得て作られたのが、
ベースボールジャケットに派手な刺繍を入れるという発想だ。
アメリカ兵に人気の高い生地は着物と同じシルク生地であったが
GHQによる物資統制がありシルク生地を手に入れるのは困難である。
そのような状況の中、
物資統制から外れていたレーヨン生地は簡単に手に入れることができた為、
ジャケットに刺繍を入れ、アメリカ兵に向け銀座の露店で売り出した。
レーヨンはシルクと似た風合いを持ち合わせており高級感があった。
そこを売りにして、シルクと偽り当時販売を行っていたのだが、
シルクと言ってしまえばレーヨンもシルクとなる。そんな時代だ。
するとスーベニアジャケットは露店に出せばすぐに完売してしまうほど人気のお土産となった。
アメリカ軍基地内にあるPX(購買部)のバイヤーがスーベニアジャケットを納入することを決め、
PXに並ぶようになってからは瞬く間に大きくビジネス展開されることになり、
日本を超え、世界各地のPXで販売されるようになった。
ベトナム戦争が勃発した1960年代頃、
日本の経済が上昇し始めたタイミングで、
日本の若者たちはアメリカ兵のファッションを真似し始めた。
スーベニアジャケットを求めていった先のアメリカ軍基地のある町は「横須賀」だった。
この頃から「横須賀ジャンパー(スカジャン)」と呼ばれるようになったと言われている。
世界から見ても日本人の刺繍の技術は素晴らしい物だったが、
刺繍以外に、ハンドプリントを施したスーベニアジャケットもあった。
それが、今回ご紹介するヴィンテージコレクションである。
一見、刺繍と比べて労力が少ないと思う方も少なくはないだろう。
ハンドプリントは原画を基に使われている色数を割り出し、
各色ごとに版を製作、手作業で一色ずつプリントを重ねていく工程だ。
それはそれは気の遠くなる手間と熟練の技術を必要である。
時間も労力もかかる上で、生産数は刺繍と比べ少ない。
ヴィンテージの中でも希少であり、
ハンドプリントのスーベニアジャケットは激レアと言っても過言ではないのだ。
この虎のプリントは毛並みも再現されており、
躍動感と迫力ある表情からは想像もつかない職人の繊細さが伺える。
プリントの上から更に刺繍を施しており、何とも豪華すぎる。
もはや洋服の域を超え、日本画として飾って楽しみたいくらいである。
スーベニアジャケットはこの時代に日本人が生み出した唯一の洋服であり、
世界に誇るべきファッションアイテム。
ヴィンテージ好きとしては、是非とも持っておきたい一着だろう。